人生のいろいろな可能性について

 高校生の頃、祖父の運転する車の助手席に乗りながら、彼が知り合いの哲学者について愚痴を言うのを聞いていたことがある。僕の祖父は自動車メーカーに勤めていたせいもあって、誰かを乗せて運転するということが実に好きな人だったから、僕は子供の頃から多くの時間を彼の車の中で過ごしたものだ。まだ世間がタバコに対するマナーにうるさくない頃だったから祖父はいつもタバコを吸いながら運転していたのだけど、僕は車内に充満するタバコのにおいを嗅いだだけで吐き気を覚え、多分いまでも僕がタバコを吸わないのは、たぶんこの身体的な記憶と関係がある。それはともかく、彼の愚痴はその無名な哲学者の哲学者らしからぬ浅はかな行動に向けられていて、その行動はどのようなものだったのかまったく思い出せないのだが、祖父の怒りに対して僕が少なからぬ反発を感じたことだけは鮮やかに記憶している。

(小説だったら、ここで風景描写や状況の説明が入るはずだ。続いて、会話文、祖父と僕の意見の食い違い。僕が持ち歩いていた哲学書について。たぶん、ルソーかニーチェ。高校生の時は詩人か哲学者になりたいと思っていたこと。しかし、大学で哲学を教えることに高校生らしい、ロマンティックな疑いの念を抱いていたこと。ハイデガー。人生のいろいろな可能性について。人はどこで、いつから人生の意味を限定し始めるのだろうか。英語を教えながら本を読む生活を送ろうと思って英文科に進んだこと。でも、結局教員免許すらとらずに大学院に進んでしまったこと。文学を研究することが、文学とのかかわり方を狭めてしまうのではないかという危惧の念を持っていたこと。専門でもない哲学をいつまでも抱えて生きていたこと。そして、今でも「専門家」になる勇気を持てずにいること。おそらく全ては時間とうまく関わることのできないことから発している。多くの詩を、発表することなく、そしてその必要もまったく感じず、自分のためだけに書いていたこと。言葉と多くの夜の接点。大学院の二年目でその習慣もなくなって、コンピュータを買い換えた時にデータを全て消してしまったこと。)

 もちろん、自分には詩人になる才能はまるでなかった。ただ、言葉を並べたり、置き換えたりすることによって、時おり生じる不思議な効果に驚いていた。夜更けに一人でコンピュータを叩きながら、自らの書いたものが独自の生命を持って、動き始める瞬間を何度か見たような気がした。しかし多分、キーツやエリオットに出会うのが比較的遅かったというだけの話かもしれない。エリオットが25歳(30歳だったかな)を超えて詩を書くには歴史的な感覚が必要だと言っていたけど、まさにそのような時期に、自分の欲望は涸れたのだ。