日本近代文学の起源

日本近代文学の起源 (講談社文芸文庫)

日本近代文学の起源 (講談社文芸文庫)

で、その前に読んでいたのが、これ。19か20歳の時にはじめて読んだ時の衝撃は大きかった。今回再読すると、さすがに前のような衝撃はなかったが、それでもきわめてすぐれた本には違いない。ちなみに小森陽一二葉亭四迷論は、ここから大分ネタをもらってしまっているように思える。

絵画における遠近法と文学における言文一致をともに制度と見なし、いったんそれが成立した後では、その媒介性が忘れられるという点を強調。起源をめぐる問いは、きわめて近過去にある即物的な起源を抑圧した、神話的なものにすぎない。そしてそのような擬制された「自然さ」が、この本では「風景」と呼ばれる。柄谷の著作では、フーコーに最も近い作品。



漱石による西欧の自己同一性の拒絶
山水画」なるものは「風景画」によって始めて存在させられた。
風景の発見は明治20年代。
実朝、芭蕉 風景は言葉であり、過去の文学に他ならなかった。
国木田独歩忘れえぬ人々
周囲の外的な物に無関心な者によって、はじめて風景が見出される。

ヴァレリー 絵、文学における「描写」の蔓延
モナリザにおける自然は人間の背景ではない自然。
ルソーがアルプスの登山の魅力について語りだす。(ロマン派的転倒)
近代文学のリアリズムは明らかに風景の中で、確立する。

ロマン派は「反ロマン派」を内に含んでいる。これをリアリズムのディレンマといっても差し支えない。シクロフスキーの言うように、リアリズムは異化作用を機軸として更新し続けるから。→柳田国男の「常民」。柳田は風景の内に対象を発見したのである。

「経験」は概念からの解放としてある。
「表現」は言文一致においてはじめて可能になった。

2.内面の発見

二葉亭四迷は言文一致の文体を円亭の落語から導入した。
明治23−27年は、一般に言文一致の停滞期と言われているが、鴎外の「舞姫」は二葉亭のものよりも写実的。

概念としての顔 (歌舞伎まで) → 明治の「演劇の改良」

パスカルは近代的な空間の均質化に反応している。
「無限の空間が私を恐怖させる」「私はここにいてなぜあそこにいないのか」
したがって、パスカルの「実存」は、近代科学の世界像と密接に連関している。
(これをさらに推し進めるとヴィリリオ的な空間の消滅につながる。)

フッサール「ヨーロッパ諸科学の危機」
ガリレオのもとで、数学的な基底を与えられた理念性の世界が、われわれの日常的な生活世界に、すなわちそれだけが唯一つの現実世界であり、現実の知覚によって与えられ、そのつど経験され、経験されうる世界であるところの生活世界にすりかえられている。

スタロバンスキー『透明と障害』 ルソー
言語活動は依然として媒介の道具でありながら、直接的な経験の場となったのである。

「主体と言葉が相互に外的でない」ような「新しい結合」

3.告白
告白という制度のうちで、はじめて隠すべきことが生じる。
田山花袋『蒲団』 はじめて隠すべき「性」というものを描いた。
明治文学者に対するキリスト教の衝撃。
告白は弱々しい構えの中で、主体を確立せんとする権力意思に支えられている。
同性愛はキリスト教の枠組みの中ではじめて抑圧される。
志賀における肉体の抑圧への抵抗

4.病
病にはロマン的な幻想が常に付きまとっていた。
今では、「癌」がもっともよくメタファーとして使われる。

東洋医学の排除 近代医学は「知」の権力となった。

5.子供

小川未明は児童文学に専念し始めるとすぐに典型的な「こども」というものは存在しないことに気づいた。
子供を子供として扱うことをはじめたのはルソー。それ以前には(純真さなどの価値概念を付与されたものとしての)「子供」は存在しなかった。

ゲーテパスカルの時代の早期教育は彼らが子供として扱われなかったことを示している。
ロマン派の時代になって「早熟」「成熟」という概念が誕生した。

大人が子供におもちゃ(遊び)を与えるという習慣はなかった。

安吾の「ふるさと」の反文学性

6.構成力
「深さ」の問題
遠近法はいったんそれが成立した後では、その媒介性が忘れられる。