DeLillo批評関連

Final EssayのためにDon DeLillo Body Artist批評を中心に読み漁っているが、これまでのところこの小説に関しては決定的に重要な論文は出ていないよう。

Foreign Bodies: Trauma, Corporeality, and Textuality in Contemporary American Culture (Literary Criticism and Cultural Theory)

Foreign Bodies: Trauma, Corporeality, and Textuality in Contemporary American Culture (Literary Criticism and Cultural Theory)

は一章をあててこの作品を論じていて、解釈も丁寧なんだけど、果たしてこの小説は完全にトラウマの物語としてよめるだろうか、という点が疑問。この小説を一つの物語の帰結に回収しようとしているような気がしなくもない。しかし、この論文がこれまで読んだ中では一番細部までよく論じている。

実際、他の批評はトラウマに重点を置いてこの作品を論じていない。Philip Nelは、この作品の言語の美しさや自律性をやたら誉めていて、ウルフのWavesなんかと比べながらデリーロのモダニズムへの接近を示していると論じている、が具体的なテクストの細部に目を向けているようでいて実の所抽象的な思考パターンから逃れていない気がする。Heath Atchleyの論文は、やたら哲学的でハイデガーベルクソンなどが出てきて、確かにこの小説は現象学的なので、20世紀初頭の哲学を参照したくなるのはわかるし、僕自身、ああベルクソン的な時間の使われ方だ、と思った箇所はあるんだけど、やはり一般的な時間論になりすぎている嫌いがある。

あとは近年のこの小説の論を含む作家研究モノグラフがある。

これは9.11の観点からデリーロ全作品を読み返すという試みで、全体にすばらしい研究。だが、Body Artistの部分はあまり力が入っていない。
ちなみにPeter Boxallは現代アメリカ文学にやたらと詳しいイギリスの研究者で、尊敬しています。

Don Delillo: The Physics of Language

Don Delillo: The Physics of Language

これまた高水準の研究でポストモダンにおける言語表象の可能性に焦点をあてながらデリーロの全作品を論じきっている。ここでもウルフが参照されていて、そんなにこの作品とウルフの関係は自明なのだろうかと不安になる。作品中のidiosyncraticな言語を話すMr.Tuttleをinfans概念と絡めながら論じている。言語と時間の関係−時制なき言語と象徴界以前の空間認識。