ブラームス

今日は土曜日。ブラームスを聞きながらドイツ語を復習している。

 前にもちょろっと書いたけど、高校生の時は楽典の知識も大してなかったくせに、彼の曲の譜面を聞きながらCDを聞くということをよくやっていた。ブラームスの音楽には、誰の耳にもベートーベンやバッハの影響が明らかで、古典的な様式美へのこだわりが感じられる。と同時に、個人的にも関係が深かったシューマン的なロマンチックな主題への深い傾倒も明らかだ。要するに、彼は時代的に遅れて来たがために様々な作曲家からの影響を実に強く受けてしまって、それが彼の作曲を困難にした。非常に完全主義的で、10代のときに書いた作品はほとんど破棄してしまっているので、現在は記録しか残っていない。また、ベートーベンの9つの交響曲の切り開いた領野の大きさをあまりに意識したために、最初の交響曲を完成させるのが40代になってしまった、というのは有名な話だ。で、実際に交響曲を聞いてみると、そういうエピソードが一々納得されるほど、壮大かつ綿密に作り上げられているので(特に1番と4番)、ちょっと胸がつまる。彼は、作曲家である前に、非常にいい耳と理解力を持った聞き手であったのだと思う。ブラームスの曲から振り返って考えてみると、ロマン派の作曲家たちの交響曲はあまりベートーベンの遺産をうまく継承できていない、あるいは、それぞれ独自の世界を持ちすぎていて形式面に注意を払う所まで行っていないという感じが強い。
しかし、ブラームスシューマンのような天性の作曲家のような人間を深く畏れていたと思う。彼はシューマンが直感的によって成し遂げたことを意識的に繰り返そうとして常に挫折していたのではないだろうか。だいたい、シューマンの曲の魅力というのは、奇想というか常識破りの天才的なリズムや展開にあるので、学ぼうとしても学べないと思う。シューマンの曲を聞くと、いつも森の中に迷い込んだような感じで、次に何が来るかということがまったく読めないことが多い。もちろん、シューマンは優れた評論家だったし、いわゆる「天然」ではないのだけど、彼の底知れない個性というのは否定できない。
 ブラームスの個人としての生はロベルトとクララ・シューマンという二人の天才への愛によって費やされたと言っていい。あまりにクララを思慕するあまり、とうとう独身で終わってしまったし、クララが死んだ後、翌年に自分も後を追うように死んでいる。クララはロベルトが早死にしたので40年も寡婦生活を送ったわけだけど、ブラームスはずっと面倒を見ていたらしい。

(また後で書き足すかも)