デュラスの『戦争ノート』

今日はデリダのLe Toucher。第一部をようやく読み終える。肝心のJean-Luc Nancy論のところはこちらの不勉強で理解が足りていない感じだが、Bergson, de Bilan, M-P, D-Gあたりが出てくる第一部の終わりの辺りは圧巻で、すごくよかった。というか、デリダ現象学には何度も絡んでいるけど、生の哲学系にはあまり言及していた記憶がないので新鮮。D-GはミルプラトーからSmooth/Stratifiedの空間的差異のところが引用されていて、たしか、日本語訳だと「平滑空間・条理空間」とかいう堅い訳だったなあ、と思い出す。しかし、これは触覚の問題と重ね合わせて論じられるような空間だったわけで、なるほどと思った。書きながら思い出してきたが、Jean-Luc Nancyのクリスチャニティーの脱構築についての議論の所では、実に珍しく聖書におけるtouchingを丹念に精読していて、「私に触れるな」の触れないことによる接触という問題系につなげていた。要するに、触れることへの禁止が触れることの崇高さと切り離しがたく結びついているという接触中心性。で、こういうふうにいうと、初期デリダの「声の中心性」と何が違うのかという話に多分なって、僕の感じでは、結構同じところもあるのだけど、触れることの中心性の方が他者との不可避的な関わりを前提としており暴力や倫理の問題に直結しやすく、声の中心性のほうはイデオロギー構築と結びつきやすい。さらに触覚は非時間的に形象されえない出来事を形作るという面があって、、、と主張しているのは多分デリダではなくて僕で、というのはこれは現前の形而上学そのものじゃないか。まだ、混乱中。

ジュンパ・ラヒリも休憩のために読む。これは本当に読みやすい英語で書かれている。昔読んだ時は、博士論文でいきづまっている登場人物なんて絶対感情移入できなかったんだが、今は少し身近な感じ、、、

戦争ノート

戦争ノート

450ページということは、もしかして何か新資料が追加されているんだろうか。なんにしても喜ばしい出版。