Schema L, R

もうだんだんずうずうしくなってきているので、発表といってもハンドアウトをくばったら、その場で即興でやるのだけど、この間のラカンについてのは、かなり緊張度の高いものになった。まあ、90パーセント以上はラカン自身の知的テンションからくるものなのは確かだ。誰が、ラカンについてゆるく語ることが出来るだろうか?おかげで、授業の前半の一時間をまるまる発表に使った挙句、次週に持ち越し。いいですよ、やりますよ。スキーマRまでなら、何とか説明できる。

んで、ようやく気が緩んだので、

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

これを。自分の中で、村上長編のベスト。単に緩んで読んでいるだけではなく、次の試験は「日本文学」で、これもちゃっかりリストに入れてあるのだ。読みながら、この作品が自分の博士論文に入ってくることはどうもなさそうだという気がしてきたけども。やはり二つの並行する世界がいかに交わるかというところに、面白さがかかっているように思う。実はテクストの内部にある二つの世界だけではなく、この作品は、村上のオウム事件についての著作とも関係しているように感じられた。なにしろ、地下鉄だし、地下組織だから。それに「やみくろ」は宗教的な生き物で、「聖域」を持っているし、「いけにえ」を神にささげたりもする。それと、人が穴を掘るという行為が無害で無償のものであるがゆえに掘るという場面があって、あ、これオブライエンかな、と思って出版年を調べたら、ニュークリアエイジは1985年で、この本の出版された年と同じなのだ。しかし、これは、二人の暴力に関する想像力というのは重なるところがある、ということを示しているだろう。それに、これもまた時代性の問題なのだと思う。2008年に無害で無償のものであるがゆえに穴を掘る人物を書いても妙に説得力がない。フィジカリティの位相がこの四半世紀の間にずれたのだ。あとは、女性の書き方。やはり、どうも性的に都合がよすぎると思う。で、べつにいいんですよ、フィクションなんだから。でも、なんかそういう風に片付かないんだよね、不思議と。