りんごもぎ、三島など

今日は珍しく暖かく、近くの果樹園でりんごもぎ。昼は中華。

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

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三島由紀夫イデオロギー的には全く共感できないので、彼の小説を読むときには、読むという行為の現象学というか、いかに読者が作者に抵抗しながら読むかということが常に前面に出てきてしまう。彼の小説に単純に心酔して「美しい日本」だの「愛国心」とは何か、みたいな議論をするひと(阿部政権の誕生で三島と関係なく昨今増えている人種であるのだが、それはともかく)とは絶対にあわないが、「三島なんて右翼のぱあだ」という人にも共感できず、少なくとも彼の代表作と呼ばれる作品はなるほと「美しい」とつぶやきたくなるところがあって、だから三島を読むと抵抗しつつ乗るという感じになる。僕が三島についていけないのはその右翼思想を別とすれば、作品があまりに形而上学的なことで、それは、たとえば彼は肉体や性欲を描く時に、それらは常に比喩で、美しさやら苦悩やら劣等感やらの意味が周囲にびっしりと書き込まれており、それは「右翼思想を別とすれば」と書いたが、右翼思想とはそのような物なのかも知れず、つまりそれは天皇をただのおじさんとして見ない。大江の作品の肉体にはたとえば肛門フェティシズムとかあって、これはこれで形而上学的といえなくもないのだが、『万延元年のフットボール』できゅうりを肛門に刺して死ぬ男とかの意味不明さは、フェミニスト的な言葉を使えば「撹乱的」だと思う。大江の肉体論というのはあってもいいが、三島の肉体論というのはすぐ劣等感の裏返しだの何だのという方に旋回するから面白くない。ともかく、三島を読むと僕はにわかフェミニスト兼左翼になるのであって、読む事の自意識とか政治性とか考えさせられる。しかしまあ、なんだかんだ言おうと、『金閣寺』は傑作だ。