プルースト、あるいは文学的自伝

僕の高校は進学校で有名なところだったが、趣味で読書をしたりするような感じの人は全くいなくて、基本的には誰も受験に関すること以外の勉強には興味がないようだった。このなんとも「功利的」な「しらけ」が嫌いで、早く卒業して大学に入りたいといつも思っていたものだ。僕はもうその頃から喫茶店に入って、読書にふけるのが好きで、親が「まじめな」本ならお金を出してくれたこともあって、岩波、新潮文庫をよく買って読んでいた。(ちなみに、いまでもうちの親に感謝しているのは、映画のお金も「特別だ」と言って特別にくれたことで、もし自分の小遣いで映画館に行かなければいけなかったら、あんなに通うことは出来なかった。)

そんな高校にも一人だけ本をよく読む男がいて、プルーストの名前を最初に知ったのは彼からだ。それからすぐに図書館に行って、井上究一郎訳の『失われた時を求めて』を見に行ったが、まさに見に行っただけで、こんなに長大なのを読むという友達に驚嘆したものだ。確か10回ぐらい図書館に『失われた時を求めて』の背表紙を見に行った後、ようやく読み始めたのだが、300ページくらい読んだ時点で、こんなに人物が入り乱れて登場する小説をよく読めるものだと、また驚嘆して読むのをあきらめた。

彼は僕の会った人の中でも、数少ない本当の天才の一人で、高校時代から何ヶ国語か同時に勉強していたし、ある日ピアノを弾くと宣言して、数ヶ月でショパンを弾きこなせるレベルに達していた。今はどこで何をしているのか分からないが、僕が最後に会ったのは僕が修士1年のときで、大学院で宗教学をやっていた(そのときには彼は旧約聖書が原文で読めた)。今何をやっているかと聞かれたので、ジョイスを読んでるよ、といったら、なんと『フィネガンズウェイク』の話を始めるので、こちらは「いや、フィネガンはまだ読んでないんだ」と告白しなければならなかった。

もう少し前のこと。確か大学二年の冬だったと思うが、僕はそのころドストエフスキーを集中的に読んでいて、彼と『カラマーゾフ』とか『罪と罰』の話をしていた。そのときも、彼があまりにも博識なので驚嘆した僕は、どうやってそんなに読むのかと聞いてみた。そうしたら彼の読書法というのが、これまたすごかった。彼は机の上に常時6つの本を伏せて置いていて、毎日1時間ずつその6つの本を読む、そして一日に6冊以上は決して読まなくて、逆に6冊読み終わるまでは寝ないと言った。この机の上の6冊の本のイメージは今でも僕の頭のなかにこびりついていて、彼の日本人離れした青い目とともに記憶に残っている。僕自身はというと、今までこのような整然とした読書はしたことがなくて、せいぜい2,3冊を並行して読むくらいである。それに興がのってくると一時間で読書をやめることなんて出来ない。

色々な作家が彼をめぐるあまり多くはない記憶と結びついているけど、何と言っても彼を思い出すといつもプルーストのことを思い出さずにはいられなくて、本屋でちくまの文庫を見るたびに「早く読まないと」と思っていた。大学の3年の時にゼミでプルーストを読んだが、たいしたフランス語力もないのに原書で読むから半年で30ページくらいしかすすまなかったと思う。期末レポートは、主人公の散歩とかナルシシズムとかについてありふれた物を書いた。もちろん、これでは少しも読んだことにはならなかった。

たしか、それからほどなくして、梅が丘の古ぼけた図書館の奥の方で、ベケットプルーストを見つけてその場で読み通した。僕は二度とこの図書館にくることはなかったので、今でも、あの場所はベケットプルースト論と親密に結びついている。

ドゥルーズの『プルーストシーニュ』を読んだのはいつだったか、あまり定かではない。『千のプラトー』と、『アンチ・エディプス』を読んで、ドゥルーズに本当に心酔していた時だ。僕はニューアカよりだいぶ後の世代に属しているので、ドゥルーズは基本的にポストモダニズムと何の関係もなかった。むしろドゥルーズこそが僕にとってのリアリズムであって、彼がアメリカ文学を書くとき本当に幸せそうに書くので、いつも励まされていた。「リゾーム」を読んだことで文学者を目指すようになったというところはかなりあると思う。ドゥルーズは僕のナイーブさを肯定してくれたと思う。

プルースト論で最高だと思ったのは、しかしクリステヴァの『プルースト・感じられる時』で、僕は、これが彼女の最高傑作だと強く信じている。彼女の初期からの記号論が縦横に用いられながらも、決して機械的構造主義的読解にならないし、彼女の精神分析的な方向の仕事もほどよく取り入れらている。何よりもマドレーヌについての冒頭部分が素敵だった。そのうちに再読したいと思う。

記憶というのは本当に取りとめがないので、ここまでにします。