翻訳論 II、さようなら私の本よ

日本人の家でなべ、など。

The Translation Studies Reader

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翻訳論、なんとリーダーまである。DerridaのWhat is a "relative" translationは大好きだ。

大江は『さようなら、私の本よ』を熟読。毎日少しずつ読んでいる。まず、小説中の表題がすばらしい。特に、第一部「むしろ老人の愚行が聞きたい」は、雑誌掲載時に見かけた時も、喝采を叫びたくなった。エリオットの詩から取られている。



もう老人の知恵などは
聞きたくない、むしろ老人の愚行が聞きたい
不安と狂気に対する老人の恐怖心が



という部分が、エピグラフとして掲げられている。


第二部、第三部も同様にしてエリオットから取られたエピグラフが掲げられていて、
実際、作中の人物たちも、エリオットの『四つの四重奏曲』を読んでいる。



『四つの四重奏曲』は時間と死についての詩だ。この大江の作品もその主題を共有している。



コギト三部作はどれもそうだが、大江の過去の作品もかなり参照されている。若い二人の男が出てきて、
コギトの初期作品とガスカルの作品に共通する動物の表象について話したりとか、登場人物に『われらの時代』以降の作品を批判させたりして、かなり自己言及的。そして、作品の自己言及癖についてまで批判させている(これは、
「憂い顔の童子」で特に見られた)。が、この作品で特に重要なのは、大江が中期に特に探求していた「狂気」の主題で、これが老人の企てるテロ計画のプロット(これがどの程度本気なのかは測りかねる。しかし、またその点が主題なのだが)、と「結んでいる」。



そういえば、この小説は会話だらけだ。このコギト三部作のなかでも特に会話が多い。しかも『チェンジリング』にあった、孤独なトーンはなく、逆にユートピア的な雰囲気がある。



ミシマ問題。この作品が3つの章あてて取り組んでいる問題。ミシマが自殺をせずに、刑務所に入ったとして10年後に
でてきたらどのようになっただろうか、という問題の立て方はかなり違和感がある。というのは、普通ミシマは「遅れてきた人」だととらえられているからだ。この小説はそれを「早すぎた」と見ている。



核兵器は暴力を国家の占有物に変えてしまった。テロのみがそのような一極集中を転覆できる。たとえば、ビルを建設するときに爆弾を仕込んでおけばどうだろう、、、といったことを建設家が考える。buildではなく、unbuildすること。



ところで、僕も「老人の知恵」ほど嫌いなものはない。「老人の愚行」を聞くことは大好きだ。私の片方の祖父は「愚行」を語ってくれる稀有な人だ。「知恵」よりも「愚行」の方が、はるかに示唆に富んでいる。そしてより強く私たちを過去へと誘って、くれる。

Eliot
http://www.tristan.icom43.net/quartets/index.html

Time present and time past
Are both perhaps present in time future,
And time future contained in time past.
If all time is eternally present
All time is unredeemable.
What might have been is an abstraction
Remaining a perpetual possibility
Only in a world of speculation.
What might have been and what has been
Point to one end, which is always present.
Footfalls echo in the memory
Down the passage which we did not take
Towards the door we never opened
Into the rose-garden. My words echo
Thus, in your mind.

僕はEliotの訳詩には特別の思い入れはない。が、原文にはいつも動かされる。だからEliotとの出会いは
つい、2,3年前のことだといっていいと思う。

Do not let me hear
Of the wisdom of old men, but rather of their folly,
Their fear of fear and frenzy, their fear of possession,
Of belonging to another, or to others, or to God.
The only wisdom we can hope to acquire
Is the wisdom of humility: humility is endless.