金井美恵子

金井美恵子『小説論』

 岩波書店から出ているのでちょっと意外な感じがしたのだけど、岩波のセミナーで話したことをもとにまとめられたらしい文学論。冒頭から、いままで作家の書いた小説論はあまたあるのだから、いまさら書き加えることはあまりない、というような徒労感が心地よく漂っていて、たとえば、大江の小説論のように、「若い書き手」に向けて書くといった積極性はない。小説がすでに終わっているジャンルであることが、歴史的な感覚に裏付けられながら示されつつ、それではどうするか、というと、はっきりは書かれないのだけれど、かろうじて「よい読者」であることがナボコフの二つの文学講義への賛意と共にポジティブな要素として提示されるのであって、読むことと書くことのつながり、その両者の快楽的な相互浸透に向けた(といっても歴史的感覚を失うわけではない)欲望のみが本書を成立させている。小説の細部への愛着がことあるごとに示され、「テーマ性」が馬鹿にされる、といのは、まあ読む前から予測のつくこととはいえ、本書自体がそのような姿勢で書かれているさまは、なかなか見事としかいうほかなく、たとえばカフカの音楽への感受性のなさにさらりと触れた一行は、なるほど、だからカフカにはあのような沈黙が書きえたのだな、と読む側に創造的な独り言をつぶやかせてくれる。


私小説」は今ひとつノレないから好きじゃないけど、島尾敏雄は好き、みたいな感じで、矛盾を恐れず直感的に作家を斬ってしまうのだけど、それだからこそこの作家の言うことは信頼できるという感じがする。横光利一の「純粋小説論」も出てきて、「私小説」は嫌い、と言うんだから、ちょっとは誉めるのが「筋」なんだけど、そんなことはおかまいなしで、純粋小説論なんてどうでもいい、とあっさり捨て去ってしまう。