後ちょっと、party@nancy

午前中はうなりながら論文執筆もあまり進まず。出来ない時は出来ない、出来る時は出来るのが論文である、僕の場合。

午後から日本語試験監督。制度上3時間制限なんだけど、実質は1時間で終わる試験。それでも、最後まで残っている学生がいた。先学期教えた子だった。頑張るねえ。監督しながら、頭の中で論文構想。

6時半からD論をディフェンドした学生を記念してパーティー。ナンシーの家は歩いて10分。涼しい夜風に吹かれながらやたら広い公園を横切って歩いていくと着く。博士号をとった人は、いまパリで教えているらしい。しかしそれにしても大学院にはいって12年とは長いなあ。みんな本当に論文を誉めていた。それにしてもアメリカのパーティーは日本の飲み会と違って夜が丸々つぶれたりしないからいい。

帰って、再び論文執筆。今度はちょっと進みそうな予感だ。


そうだ。水曜日のことを書いていなかった。教授の家に招かれて、ホロコーストの生存者と会話をすることが出来たのだ。80歳ながら元気そうで、国家全般のことやイスラエルのことやラビという職業について話した。一生忘れられない経験になるだろう。