Auge, デリダ

Marc Augeはイマイチ乗り切れないまま、一応読了。Lefevreの時と同じように、どうも印象主義的な評論という感じがしたし、何か党派的なものも感じられた。de Certeauはかなり頻繁に参照しているのに、「王の二重の身体」について論じた箇所でもフーコーに一言も触れない。イントロも実にくさく、国際空港のロビーは非場所であるなどと述べているけど、もうこういう80年代的、ポストモダン的な「無機質な」描写には、まったく面白みがない。

それで、デリダの"Fors"で発表をしなければならないので、Carte Postaleの "Le Facteur de la Verite"を。このテンションの高さで80ページも論文が続いてしまうところがまず驚きなのだけど、
一番面白かったのは、Dupinの二重性。ラカンが洞察の深いDupinを精神分析を行う自らの位置と重ねながら使う一方で、登場人物として分析のobjetとなる受動的なDupinを想定しているというあたり。ラカン自らが用意した論の枠組みのなかに対称を招じ入れるそのコントロールのあり方についてのデリダの批判と結び合う。それと、精神分析を文学読解の枠組みとして用いるあり方を批判する返す刀で文学的フォルマリズムもその形式性による還元主義を切っている。この辺はSignification et Forceと重なってくる辺り。ボナパルトラカンフロイトの三角形の辺りは、ま、面白いけど、意地悪という感じがしてちょっと。これは、デリダのフランス知識人のなかの位置関係のようなコンテクストも関わってくると思うけど、自分にはまったく興味がもてない。ま、いずれにしても、読むたびに発見のある第一線の論文であることは間違いない。