ドイツ語・ちょっと花粉症

僕は日本ではものすごい花粉症なので、春は本当に憂鬱なのだ。アメリカではあまりたいしたことないんだけど、ここ二三日はちょっと目と鼻がかゆいような気がする。でも、春が来たのはとてもうれしい。ここは本当に寒いし。それに、田舎で土の露出した所が多いので、春のにおいがする。朝、すこし離れたバス停で芝生に座りながら日向ぼっこしてバスが来るのを待つのが好きだ。たぶん、それがこの町でする事のうちで一番楽しいことなんじゃないか、という気さえする。

春休みの後半は、ドイツ語の小説を読み返す作業をしていた。いつもドイツ語をやっているとはいえ、なかなか一日中勉強するという機会はないので、ずいぶん単語力などがついたような気がする。少なくとも、ドイツ語の文章をぱっと見せられてまったく何がなんだかわからないということは、もうあまりないんじゃないか。もちろん、まだまだ覚えなくちゃいけないことはあるし、話すときにあの複雑な格とか性とかをどういうふうに処理したらいいのか分からないので(というか多分「分かる」ものじゃなくて「慣れる」ものなのだけど)、もっと勉強しなくちゃいけない。今学期で義務的にとる科目としては終了なんだけど、何らかの形で継続させていきたい。

ティーチングをしにある建物に向かって歩いていたら、英文科の教授で、この冬に手術した先生にばったり会った。この人は元気でも病気でも元気そうにしている人で、いきなりがばっと抱きしめられてうれしかった。僕はリスニングの教材のためのCDラジカセを持っていたので、落としそうになったけど。

日本だったらセクハラになってしまうんだろうか、とふと思った。その教授は異性だから。それにしても、異性に触れるいかなる行為もセクシュアルなものとして見なされてしまう社会って何なんだろうか。(そもそも同姓ならオーケーと言うのがヘテロ社会の証拠なんだけど)。日本では教授は文字通り手のとどかな存在で、彼/女に触れることは禁忌の一つだし、触れられることは恐慌をもたらすものでしかない。しかし、過剰にコード化された「触れること」が、結局、教育的な契機を奪っているのだ。もっともこういうふうに言うことすらセクシャルに解釈されかねない。

ま、手術に耐えた彼女に励まされました。がんばろ。