そろそろペーパーを

そろそろペーパーのテーマを考えなくてはいけない。再来週、デリダのforsについて発表するので、おそらくそれにつなげて、精神分析の不可避的な空間表象についてということになると思う。デリダドゥルーズ精神分析及び現象学が有機的な事象の持つ「持続」的な性質を消し去った上で、構造を空間的に分節化していることに異議を唱えているというのは前提で、『アンチ・エディプス』、「真実の配達人」などを「精神分析の抵抗」や"Fors"などと比較しながら読んでいけば、実はそれぞれの論文にのなんらかの偏向やほころびがあると思う。キーとなるのは、持続的時間性とか言語の決定不可能性による遅延、あるいはスタティックな権力構造など。

あー、何か真面目。デリダドゥルーズというのは、本人たちがあれほど遊んでいるのだから、こんなに真面目になってはいけないような対象であるような気もするのだけど。というか、こんなに真面目になることを人は分節化と呼ぶのではないか。しかし、ちゃんと遊ぶのはもっと難しいのだ。ここを断念しない限りは何も始まらない。