本格小説、contagion

本格小説下巻まで一気に読了。後半から、ものすごい嵐に巻き込まれてしまったような感じで、息もつかせぬとはまさにこのこと。特にクライマックスとなる二人の相対する場面のすさまじい迫力に圧倒されまくった。総じて様々な出来事にも理性を失わないように見える語り手が、物語内容のドラマティックなうねりを単に感傷的な安っぽさへと転じそうになるぎりぎりの所で支えていて、荒馬を御すがごとき手綱さばきが光る。小説の最後には、しかし、その語り手の欲望もが明らかになり、彼女のアイロニーと表裏一体となった激しさが顔を覗かせるにいたって、小説は欲望と挫折と階級意識が渦巻く中心なき運動体と化す。細かいうまさでは、「電球」の場面の反復とか、様々な出来事をかいくぐった者が過去を振り返りながら語ることで生み出すことの出来る「運命」のトーンの使い方とか、あとは語り手は「女中」以外に考えられないよね、とか色々あるけど、やはり東太郎とよう子の激しさがヒースクリフ/キャサリンとかぶりながらにじみでる、そのあり方。さすがに「私は太郎よ!」とはやらないわけだ。やったら安っぽい、もちろん。そうではなくて、二つの作品が近寄っては離れて行く、その振幅にインターテクチュアルなドラマが宿っている。

参りました。読みながら苦しくなって肩で息をしたりとか、逆に笑ったりとか、「うまい!」と呟いたりとか、かゆい所まで手が届く感じに思わず体がそわそわしたりとか、実にアクティブな読書でした。もちろん泣きました。ただ、読み終わって少しして思ったのは、本当にこんなの書いちゃっていいの?だって、これ20世紀の作家たちが書きたくてウズウズしながらも、懸命に抑圧してきたものじゃないの?という疑問。個人的には、ここまで大きくやってしまえばまったく問題ないんだが。

今頃、読んでおいてなんですが、大傑作でした。これの前の作品の『私小説』の射程を大きく超えている。

夜は、うって変わって、黙々とPriscilla WaldのContagious(2008)を読む。