Benjamin

ベンヤミン本質主義が段々分かってきたような。「神の暴力」とか「純粋言語」とか「労働」とか「口承」とか。ま、だからこそおもしろいのだけど。しかし、21世紀にもなって、ベンヤミンアメリカで読んでいるというのはちっともベンヤミン的ではない。20世紀のロサンゼルスならともかく。いまなら、やはり上海あたりに生息していてしかるべきなのではないか。おそらくあと2、30年もしたら、英語のヘゲモニーというのは、中国における21世紀のベンヤミンみたいな人に徹底的に相対化されてしまうのではないか。あれだけ人がいるんだから、そういう人が一人くらい上海の路地をうろうろしていたっておかしくない。英米仏独の現代をやる人がこれだけいて、中韓印のそれが圧倒的に少ないというのは、やはり何か重大なものをとらえ損ね続けているという気がしてならない。ま、僕のような欧米一辺倒の人間が言う言葉じゃないか。しかし、そう考えてみると映画っていうのは優れたメディアで、たとえばイランのキアロスタミのことをみんな知っている。現代イラン思想なんて全然分からないけど。