rehabilitation

体の具合が悪くなって日本に戻ってきて以来、なんとなく日記を書くのが億劫であり、恐いような気がしていた。誰もが日本語を知っている場所で暮らすと、不思議と日本語を書く意欲は減退する。ここで書いていることが隣の人に、すっと伝わってしまうような気がしてしまう。もちろん、ネット上で世界中に人が読めるような状態で書いているのだから、いかにこれがひそやかな営みと自分自身思いなしている書き物だとしても、それは幻想に過ぎないのだけども、しかし、誰かに読んでもらいたいという気持ちが誰にも読んでもらいたくないという気持ちと、互いに打ち消すことなく存在しているというのが正直なところで、そのような矛盾のある種の強度が私を書く行為へと押しやるとして、隣の人が日本語を話すという場の同質性は私にとって言葉の持つべきある種の遠さを曖昧に霧散させるのかもしれない。

今回、はじめて全身麻酔を受けたのだけど、手術室に入ってから青い衣装をした医師たちに囲まれて少し立った時、まるで自分の脳が身体からはなれていってしまうような心ぼそさを急に感じて、抵抗し、ちからを込めて手術台の上で体を起こそうとした。最後に記憶しているのは、麻酔科の医師たちの慌てふためいた顔、顔。次に気付いた時には手術は終了していた。全身麻酔は人から時間の感覚を奪う。ぼんやりと眺めた部屋の時計から、手術にかかった時間は一時間ほどだと分かったけど、それがたとえ10秒のことだったといわれても、一週間のことだったと言われても信じただろう。眠りとは違って、全身麻酔にある身体は全く自分の所有できない時間のもとにあるのだ。