現代文学の貧困

 もちろん、それは神話なのだけれど、プルーストや、あるいはしばらく前の泉鏡花を読んだ経験を振り返ってみれば、文体的な豊穣さというようなものは、この1世紀近くの時間の中で取り返しようもなく損なわれてしまったのではないか、と思わざるを得ない。我々は、ますます、誰もが書き得、誰もが読みうるような中性的なものしか書かなくなっている。それを日本語の乱れのせいだという人がいるのだが、私が考えるに事態はまるで逆で、情報には言語がそれ自体に備わっているはずの変容する能力を抑圧するようなところがあるのだ。伝達の速さは、言語を衰弱させる。とすれば、やはりデリダの遅延と差異をめぐる問題にいたるわけだ。