暖かく

たぶん、全米の北のほうはそうだと思うけど、今日は暖かくなった。
冬がきついだけに、暖かくなることの喜びもその分大きくなる。
雪解けの水が道路の端にたまっていた。家の近くの小川も水量を増していた。
小林エリカの「ぼくのアンネ」。最初、漫画のコマ割りみたいな発想で
書く人だと思って、著者紹介を見たら本当に漫画家らしい。とってもポップ。
漫画的なセンチメンタルさもあって、それが好き嫌いの分かれるところだと思う。
漫画ばかり読んでいると小説が読めなくなるとか言うけど、
これは漫画をたくさん読んでいないと書けない小説だと思った。
一文一段落が非常に多く、クリシェが多用されているのだけど、
その辺は実にうまくコントロールされている。
作為的な感じがするのは確かで、もう、そのひらひらするスカート
とか見えちゃったとか、いやそれが学園的な風景なのは分かるけど
もういいから、などと突っ込みながらの読書となる。

しかし、一番好きだったのはそういう学園的なところじゃなく、
母子家庭の「母」の描き方の筆加減。
たまに出てくるだけなのだが、人生に対するあきらめと希望の入り混じった感じが
よい。それに対して、男になってしまいたいという中学生の長女の願望に
表れた欠如感が重ね合わせられる。長女は何度か、箸を噛むのだけど、
その方向性を失った力の入り方の感じもまたいい。

この長女、学校での唯一の友達が、野見(ノミ)君という男子と
だけ仲がいいのだけど、このようなペアはかなり既視感があって、
そう、蹴りたい背中のあのペアにとてもよく似ているのだ。しかし、
考えてみればこの作家はちっともオリジナリティを狙っていず、
むしろ既視感だけで小説の舞台を埋め尽くそうとしているのだから、
どっかで見たことあるというのを指摘してもしょうがないかもしれない。

でも、書いているうちに、やっぱり70年代後半生まれ世代の集合的な
記憶に対する目配せが多すぎるかなあ、と思った。


あと、谷崎由依の「ガルラレーシブへ」。
面白いのだけど、あやふやな点があやふやなままに終わっているところが多い。
マジック・リアリズム系の女性作家、増えているなあ。